筆 者はこれまで、キェルケゴール・北欧神話・ウプサラ学派の価値ニヒリスムの三者を主要な研究対象としてきたが、それを基盤としてさらに筆者の関心は、現代 世界の抱える緊急の思想的課題 - 宗教・医療・環境の問題 - を解決する方向を、北欧思想圏の哲学的思惟を通して探るという目論見へ進んでいった。そ して、極めて貧しい試論には留まるが、それぞれの対象・主題について研究成果を発表することができた。しかし、現在筆者の願望は、従来の考察を一層ラディ カルに深めるとともに、そこからさらに浮かび上がってくる北欧固有の諸問題に対して総合的な検討を加え、その成果を体系的に「北欧学」という新たな学問に 結実させたいという方向に向かっている。筆者に残された時間は多くはないが、それへの積極的な挑戦が、ライフワークの主たる部分を占めることになる。
この場では、筆者がこれまで上梓した著作と翻訳を、研究業績として紹介すると同時に、続いて筆者がそれぞれの機会に発表してきた比較的短い論考を用いて、 必ずしも全体が体系的に組織されているわけではないが、現在筆者の念頭にあるかぎりでの「北欧学」なるものの構想内容と、想定される具体的な主題につい て、述べてみたいと思う。

2008/01/29

「北欧学」の構想-北欧神話から「北欧学」へ

[Ⅰ]

  最近筆者は、自分の専門分野を問われると、「宗教哲学・北欧学」と答えることにしている。宗教の本質の哲学的解明を課題とする伝統的な「哲学」の一部門としての「宗教哲学」に比較すると、「北欧学」(nordology,nordsvetenskap)というのはいまだ明確な理念体系・方法論を有する固有の学問領域として成立してるわけではない。それだけに、自分の専門分野の一つとして、そのような耳慣れない未成熟な学名を挙げるのはどうかと躊躇する思いもないわけではないが、それにもかかわらずやはり「北欧学」なるものを一定の方法論に支えられた具体的な一学問体系として独立させたいという密かな願いを抱いている筆者としては、将来における「北欧学」確立への願望を込めて、敢えて「北欧学専攻者」を名乗っているわけである。なお「北欧学」の体系構造と方法論についての筆者の暫定的な見解は後に述べることにする。そして、この点と関連して敢えて言わせて頂けるなら、筆者の本来の研究分野である「宗教哲学」も、このようにいまだ未開拓の学としての「北欧学」と称するものの構想内容と密接に結びついており、さらにはこの「北欧学」の構想にとって基幹的意味を有するのが、筆者にとっては「北欧神話」に他ならないののである。

  『ユリイカ』編集部から求められたのは「北欧神話」そのものについて一筆ということであったが、筆者が「北欧神話」から「北欧学」の構築を意図するにいたった経緯に触れることで、御要望に応えさせて頂ければと考える。

  鈴木大拙の著書を通して筆者が最初に知った北欧の思想家は、スウェーデンの神秘主義者E.スエェーデンボルイ(1688 - 1772)であるが、筆者の学生時代に支配的だった哲学思潮が実存主義であったことにも影響されて、学部及び大学院で取り上げたのは隣国デンマークのS・キェルケゴール(1813 - 1855)であった。ところが 、彼の探索を継続してゆく中で改めて気づいた奇妙な事実は、通俗的には「北欧の生んだ孤独憂愁の哲人」と称されながら、デンマーク本国を含め内外のキェルケゴール研究の中に、彼を厳密に北欧デンマークの思想家として積極的に把握しようとする方向が垣間見られないということであった。そして、このような否定的な状況はその後若干改善された兆しがないわけではないが、キェルケゴールを「国籍不明の思想家」に還元しかねない曖昧な研究姿勢・方向は、現在に到るも大きな進展は遂げてはいないように思われる。いったいキェルケゴールがデンマークという北欧の自然的・思想的風土の中に生誕し成長したという事実は、彼にとってはいかなる積極的な意味をも持ちえないのか、もし持ちうるとすれば彼を北欧デンマークの思想家たらしめている固有の特性,彼の思想体系を貫く真に北欧的な要素、いわば彼における「北欧的なもの」(det nordiske)とは何なのか、こういった疑念に駆られると同時に、改めてこの「北欧的なもの」自体が何なのか、その実体を生成の源まで遡って見極めようとして、筆者が一旦キェルケゴールの思想圏から離れて赴いた先が「北欧神話」の世界であったわけである。

[Ⅱ]                 

  「北欧神話」の解読を通して、北欧精神史乃至思想史上最初に「北欧的なもの」の実体を、「北欧民族精神」という観点から,「戦いの精神」として規定したのは,キェルケゴールと同時代の詩人・宗教家NFS・グルントヴィ(1783 - 1872)であった。彼は、「北欧神話」最大の雄編『巫女の予言』の中に、世界の終りまで決して終結することのない神族と巨人族との戦いの場面を通して、北欧人の生全体を支配・統治する基本理念が、「戦いとしての生」であり、このような「戦いとしての生」を、まさに「普遍妥当的真理」にまで高めているのが、「北欧神話」全体に他ならないと見なすのである。例えば、次のようにも言う、「北欧民族精神は神自身の霊と極めて多くの同等性を有しており、真理と虚偽、生と死、光と闇、それらの間に介在する巨大な戦いを凝視する。そしてこの戦いにおいて北欧民族精神は死とともに、死にまつわる虚偽と冷酷無情な心を克服する生の側に立つのだ」(1)。だが、同時にグルントヴィは、特に晩年においては、この「北欧民族精神」の限界をも認識していた。「北欧民族精神が夢見るもの、真理を北欧民族精神自身は実現する力がない。真理の実現はあくまでアース神の夢に留まるのである」(2)。なぜならアース神は、「ラグナロク」において没落せざるをえないからである。『巫女の予言』の最終場面に登場するこの「ラグナロク」の表象は、まさに「ragna(神々の) rok(運命・死)という語義通り、アース神が「有限的なものと同化して、有限的なものの法に服従しなければならない。彼らは自らの永遠性を喪失せざるをえない」(3)という悲劇的事態を意味するからである。だが、同時にこの表象は、グルントヴィにとっては、それがキリスト教が登場するための決定的契機としての「時の充実」であり、いわばゲルマン異教信仰が新たなキリスト教信仰に転換移行するための無制約的前提であり条件なのである。グルントヴィは、ゲルマン異教とキリスト教との関係を断絶的にではなく、あくまで相互媒介的な連続性において把握する。彼が自らの立場を「北欧的―キリスト教的立場」と称する所以がある。

  以上のような意味で、グルントヴィの場合、「北欧民族精神」「戦いの精神」としての「北欧的なもの」は、「ラグナロク」において自らの限界に到達せざるをえないゆえに、それ自体は「浄福を与えてくれるものではない」。だが、それにもかかわらずこの「北欧的なもの」が、「母国語の、民族生活の精神的な力を付与するものであって、さればわれわれ北欧人にとっては最良の教師、しかも間違いなくこの世で最も素晴らしい教師である」(4)。グルントヴィがデンマーク国教会の改革と国民教会及び国民高等学校の設立という偉業を果たしえた背景には、彼固有の「北欧的なもの」に対する熱烈な思いがある。    北欧神話全体を貫く「戦いの精神」を「北欧的なもの」の典型として把握し、この「北欧的なもの」の限界を「ラグナロク」の悲劇の中に発見したこの父の影響下、デンマークの口承伝説を収集して 巨大な業績を挙げたのが、息子のスヴェン・グルントヴィであり、さらにその高弟が北欧神話研究史上最高の古典的名著の一つ『ラグナロク論』と『ラグナロク表象の起源』を完成したデンマークの民俗学者・神話学者・文学史家アクセル・オルリック(1864 - 1917)である。今に到るもラグナロク論においてそれに匹敵する、ましてや凌駕する業績の現れていない二巻本の前著において、オルリックは「ラグナロク」表象について、グルントヴィとは異なる見解を提出している。先ずオルリックは、この表象をグローバルな視界から仔細に考察することによって、『巫女の予言』の告知するごとき巨大な宇宙論的破滅という「ラグナロク」表象は北欧の風土の中だけで孤立的に誕生したものでもなければ、かといってキリスト教的終末論に由来するものでもなく、あくまで全人類の魂の深層に通底する共通のイメージに発生源があり、より厳密には、「西方からのケルト的流れ」とタタール人やペルシァ人にまで及ぶ「東方からの流れ」という二つの流れの交差によって誕生したものが『巫女の予言』の「ラグナロク」表象であると主張する。とはいえ、そこにはこの表象の北欧的特性とも言うべきものが厳然と存在していることも歴然たる事実であって、オルリックはそれを「ラグナロク」表象が語られる際に前提乃至背景として提出される全存在の徹底的な暗さ・憂鬱さを挙げると同時に、「没落に到ることを承知している恐るべき戦いを凝視する沈着冷静な真摯」を指摘する。「運命の歩みに割って入り、倒れた父親オージンの復讐を果たす瞬間、全生涯を賭して虎視眈々と狙う沈黙のアース神ヴィーザルこそ北欧的である」、とオルリックは言う。しかし、それとともに彼は、「死の感情が極めて切迫したものであればこそ、北欧人はまた、生の火は何としても消してはならないという思いも、強烈に表現することができる」という意味において、北欧人は「復活への希望を、純粋かつ大きなスケールで抱いていた」、と見る。オルリックによれば、オージンを呑み込んだフェンリルの狼に対するヴィーザルの復讐劇は,「大きく高い犠牲を払って得た生への勝利」を物語るのであるが、とはいえヴィーザルの戦闘を語る古代北欧人の脳裏に焼き付いていたのは、「至福の新世界」ではなく、あくまで「没落の中にあってなお最高に価値あるもの―生―を堅持する不屈の力」なのである。「北欧のラグナロクの基礎資料(『巫女の予言』)においては、死の不安が力を奪おうとするまさにその瞬間に、一転して生への信仰が全力を集中しつつ、開かれた死の口を引き裂く瞬間に直面する」、とオルリックは言う。

  以上のように見てくると、いまやオルリックにとって「北欧的なもの」の何たるかが鮮明になつてくると思われる。彼は、異教信仰からキリスト教信仰への移行を必然的過程と見なすグルンドヴィのように、「北欧的なもの」の消滅的契機を「ラグナロク」の悲劇の中に見るのではなく、むしろこの悲劇的出来事自体を「北欧的なもの」の決定的な表出の場面として把握するのである。だから、実は本質的に復讐劇に他ならない巨人族と神族との全面戦争の告知する暗欝な現存在全体・世界全体の秘儀を凝視しつつ、迫り来る死の運命を泰然と受け留める「沈着冷静な真摯さ」、そして同時に再生・復活への強烈な意志、オルリックの場合、これら二面が「ラグナロク」の悲劇的状況の中で顕になる最も厳密な意味での「北欧的なもの」として了解されるのである。(なお、オルリックのラグナロク論第一部は、拙訳で『北欧神話の世界-神々の死と復活』として青土社から刊行されている。なお、文中のオルリックの発言は、本訳書249頁-257頁からである)。 

  さて、こういったオルリックのラグナロク論の強烈な影響下、やはり『巫女の予言』を最重要資料とした上で、さらに拡大された視野から各種資料・文献を駆使することによって、「北方ゲルマン人の異教的世界没落論」の徹底検証を行なったのは、『古代ゲルマン宗教史』二巻(1935 - 37)他,ゲルマン神話学・宗教史学の分野において超人的な業績を挙げたオランダの碩学ヤン・デ・フリース(1890 - 1964)である。彼は、『巫女の予言』が「真の芸術家」の手になる際立った詩編であるとしても、そこから北欧人がかつて抱いていた固有の「終末論的世界観」に対する証言を引き出すことは可能であるとして、その具体的内容を次のように明らかにしている。長さを厭わず引用することにする。

  「『巫女の予言』の詩人の意図は、当時すでに知られていた神話的なラグナロク物語を扱うことではなく、それによって彼は世界観を語ろうとしたのである。彼にとって主要な課題は、ラグナロクがどのように生起するか、いかなる諸力がいま世界の現存在を脅かしているか、未来はどのように形成されるか、ということである。ラグナロクの事象は、オージンとその息子バルドルの対立において、頂点に到達する。没落に向う古い世界は、オージンの世界である。新世界はバルドルのものである。だから、『巫女の予言』の詩人は、バルドルを罪なくして死した神と見なす。この神は前時代の堕落には与からず、復活した世界では新しい支配者として君臨する。かくて『巫女の予言』の詩は、戦いと偽り、悪徳と罪の、悪しきこの世界からの救済を求める人間の未来像を含んでいるのである。しかし、詩人の思惟の跳躍が、彼をこのような高みにまで導くということは、罪の世界に対する勝利の意識を告白させる信仰を、彼がとっくに知っているということによってのみ説明がつく。だが、それにもかかわらず、詩人はキリスト者ではない。彼は、異教信仰の中に完全な再生の力を発見できることを確信していた、敬虔な人物であった。『巫女の予言』は、二つの時代の狭間に生きる魂の感動的な告白である」(5)

  さらに、デ・フリースは、『巫女の予言』全体を貫く男性的心情の深さ、確固不動の信仰、道徳的自覚の真摯さ、よりよき世界に対する切なる憧憬と飛翔こそ、詩人を「古代ゲルマン最大の芸術家」たらしめた所以のものとしているが、こういったデ・フリースの見方が、先のオルリックのそれと軌を一にするものであることは言うまでもない。オルリックは、「ラグナロク」神話のことを、「徹底的に考え抜かれ、生き抜かれた北欧人の真摯さ」の典型的表現として受け留めるが、こういった見方を根拠に、デ・フリースはさらに、世界終末に関するさまざまな民俗的表象の結合点かつ頂点に到達したのが北欧の「ラグナロク」思想であって、ここにおいて「壮大な終末論的体系」が創造された、という結論を導くのである。そして筆者は、彼らが特徴づけるこういった「ラグナロク」理解を通して、神々と世界の崩壊の終末論的世界観という一つの思想体系にまで構築された「ラグナロク」表象の中に、まさに「北欧的なもの」のエッセンスが凝縮されていると考えるのである。

  さて、筆者がオルリックとデ・フリースの「ラグナロク」論にこだわった所以は、冒頭で述べたように、いまに到るもキェルケゴール研究の抱えるブラックホール的間隙 ― 彼における「北欧的なもの」 ― の実体を見極めるようとして北欧神話に向かい、「ラグナロク」表象に行き着いたのであるが、この表象が神話的な宇宙論や世界観の場から、実存する単独的な人間の主体的な立場へと内面化・人格化されるとき、それは独自のラディカルな実存的終末意識・破滅意識、そして強烈な再生願望へと凝縮され、かつそのようなものとして表現されることになる。そして、この意味における「北欧的なもの」の最も先鋭的な表出を、筆者は、キェルケゴールの「不安」 や「絶望」の概念に見出しうると確信している。彼の『不安の概念』及び『死に到る病』は、私見によれば、まさに現代における実存哲学的「ラグナロク」論に他ならない。彼はキリスト教思想家である以前に、より根源的に北欧人であり、固有の終末論的没落意識に貫かれた北欧の土着的思想家なのである。事実、キェルケゴールのなかんずくこれら両著と『巫女の予言』との間に、論理的・心理的側面を含む思想上の著しい類似性・近親性が存在することは、一読看取しうるであろう。もっとも、キェルケゴール自身は、北欧神話に冷笑を浴びせることによって、それに由来する「北欧的なもの」から意識的に距離を置こうとするが(6)、これにはグルントヴィやデンマークに置ける最初の本格的な「ラグナロク」論を学位論文として完成したM.J.ハムメリック(1811 - 81)への激しい対抗意識も無関係ではないであろう(7)

  ところで、オルリックやデ・フリースの所論に負いながら、「北欧的なもの」の実体を北欧神話の中に確認する作業の過程で、実は筆者は、彼らによっても『巫女の予言』の提出する北欧異教的終末論の重大な側面が看過されているという事実を発見した。それは、この終末論にとって宇宙創造論(cosmogony)の有する決定的役割に取り立てて深い関心が向けられていないということである。北欧神話では、自然原理を意味する巨人族によって精神原理としてのアース神族が創造され、そのかぎり自然原理が精神原理に絶対的に優越するという秩序が確立されている。それにもかかわらず、この宇宙論的秩序が破壊されてアース神族が自らの創造主たる巨人族の祖を殺害し、いわば自然に対する精神の破壊活動を通して宇宙が形成されたというのが、北欧神話の主張である。そして「ラグナロク」の場面で登場する全面戦争というのは、本質的に、宇宙論的秩序を転倒・破壊した精神原理たるアース神族に対する、自然原理としての巨人族の「復讐」の攻撃に他ならないのである。しかし、そうなると、アース神族の王オージンを呑み込んだフェンリル狼に対する王子ヴィーザルの「復讐」は、基本的に「復讐」に対してのさらなる「報復」ということになる。復讐に次ぐ復讐、自然原理と精神原理とのこういった壮大な宇宙論的規模の報復の連鎖する世界に未来はない。巨人族と神族、自然と精神は劫火に包まれながらともに崩壊の運命を辿るのは、そのためである。拙著『北欧神話・宇宙論の基礎構造-<巫女の予言>の秘文を解く』(1994年 白凰社)は、「ラグナロク」の北欧的終末論によって無制約的に前提とされる宇宙創造論と宇宙形態論の基本構造を解き明かしたものであり、『ディープ・エコロジーの原郷-ノルウェーの環境思想』(2006年 東海大学出版会)では、北欧ノルウェーの自然環境に発する現代の「ディープ・エコロジー」思想が、北欧神話における上記のごとき自然と精神と相互破壊的活動の理念によって先取されており、端的に言えば、古代北欧神話がある意味すでに「ディープ・エコロジー」そのものの書たりうることを示した。

[Ⅲ]                      

  キェルケゴールや北欧神話における「北欧的なもの」への関心の一方、これまで筆者が、現代の哲学がそれとの対決を抜きにして自らの存在意義を語ることができない指標的対象として考えてきたのは、宗教・福祉・医療・環境の問題であった。そして、筆者としては、これら各問題と真摯に真っ向から対峙することによって独自の透徹した思索を展開しているスウェーデン・デンマーク・ノルウェーの思想圏に向い、同時にそこに「北欧的なもの」の刻印を探るという、いわば哲学的問題と「北欧的なもの」、これら二つのものへの関心を総合するような仕方で、これまでおぼつかない歩みを続けてきた。そして、その過程で改めて痛感したことは、古代の異教的土壌で育成されたとはいえ、「北欧的なもの」の中核をなす「ラグナロク」の破滅・没落意識が、たとえ潜在的にせよ、さまざまに形状を変えながらも現代北欧思想の内部に奥深く浸透しているのではないかということであった。この点に一々言及はしていないが、何れにせよ先に紹介した北欧神話論・ノルウー環境論・スウェーデン・ウプサラ学派の宗教論と医療倫理論、デンマーク福祉論等、筆者がこれまで上梓した五冊の単著は、すべて上記二つの視点への両面的な関心が基礎になっている。そして、筆者の最もおうところの多いウプサラ学派の価値ニヒリスムは、既存の有神論的宗教哲学に「ラグナロク」を宣告することによってその解体を迫る哲学であり、

  さらに安楽死思想を中心として論じた医療倫理論はもとより、デンマークの哲学的福祉論にしても、人間の社会的状況における「ラグナロク」的事態を厳しく凝視し続けるところで初めて可能となつた、まさに「北欧的なもの」の顕在化に他ならないのである。

  しかし、北欧神話の古代から一挙に現代の北欧に飛躍して「北欧的なもの」を探ってきた筆者の目下の切実な関心事は、第一に古代北欧神話から出発して現代のラディカルな問題に到達するまでの時間的推移の中で、この「北欧的なもの」がどのように育成・認識されてきたかという、いわば「北欧的なもの」の歴史的展開の様相を一定の視座と方法論に基づいて確認し、第二にその作業を通して総合的・体系的に「北欧的なもの」の何たるか判断することを通して、暫定的に筆者が「北欧的なものに関する歴史的及び体系的研究」と定義する「北欧学」なるものを、新たに独立した学の一分野として確立することである。筆者が知るかぎり、北欧諸国においてもこの種の総合学はいまだ成立していないし、本邦では書籍やウェブ・サイト上に時折「北欧学」なる呼称が見かけられるが、その際にもこの学名が明確な定義の下に使用されている気配はなく、大雑把に北欧文化の諸側面に関する学際的な研究といった程度の、ごく一般的な意味で用いられているようである。筆者自身にしても、差し当っては上記のごとき暫定的な規定しか手にしていないのが実情であり、まして「北欧学」のさらに明確な輪郭や方向の提示、体系の具体的構造等の問題解決はすべて筆者に課せられた今後の課題である。なお、以下では、「北欧的なもの」の歴史的展開を検証しようとするに場合、筆者が常々最高の指標を提供してくれるものと評価している一つの貴重な資料に言及することで、筆者自身がどういった文化現象を具体的に「北欧学」の対象と考えているかを示唆して、この序論的考察を終ることにする。

  「北欧的なもの」の歴史的考察ということをより広義に捉え直すなら「北欧精神史」と称して差し支えないであろうが、十九世紀後半この「北欧精神史」の分野において真に先駆的かつ画期的な業績がデンマークの文化史学者カール・ローセンベーャによって齎された。著者の道半ばでの死去により完結はしなかったものの、それでも総計一七六三頁に及ぶ三巻本の『北欧人の精神生活―古代から現代まで』(8)は、「希に見る調和の取れた労作」と評価される記念碑的大著であり、これに匹敵する、ましてそれを凌駕する著作は北欧その他いかなる国にも登場していない。著者は三巻本のそれぞれにおいて異教時代・カトリック時代・前期ルター主義時代を取り上げつつ、北欧民族精神独自の特性が際立った仕方で顕現していると思われる文化現象に注目している。その中で筆者が「北欧的なもの」に対する典型的な歴史の証言として「北欧学」の視座から格別したいのは、前の二つの時代に属する次のような現象である。ローセンベーャのタームをそのまま用いる。

  異教時代―岩盤刻画とルーネ文字、異教的民族詩(エッダ神話)と異教的芸術詩(スカルド詩)

  カトリック時代―法の生成と精神、歴史記述、『ヘクセーメロン』(北欧のスコラ学)『王の鏡』(哲学的思惟)、聖女ビルギッタ『啓示』(宗教的思惟)

  最初に挙げたヨーロッパ最後の神秘主義者と言われるエマニュエル・スウェーデンボルイはローセンベーャ的な時代区分によれば「後期ルター主義時代」に属するが、上記のような理由で、ローセンベーャの記述は「前期ルター主義時代」に活躍したスウーデンボルイの父エスパー・スヴェドベルイへの言及に留まっている。スウェーデンボルイ自身については、ローセンベーャ的な時代区分では、後期ルター主義時代に属することになるが、聖女ビルギッタとともに、創世に遡って過去を回顧し、未来の出来事を幻視を通して予見するという、『巫女の予言』スタイルを継承した北欧的思想家の典型であった。 

  北欧神話に基盤を置いた「北欧学」の構築を筆者自身がどこまで進められるのかはまったく未知数であるが、この新たな学のより厳密な方法論的吟味の問題は当面留保しておいて、以下では、ローセンベーャの業績を念頭に置きながらも、それとはまったく別個に、筆者自身が「北欧学」において取り上げられるべき重要課題と考える幾つかの主題について、これまでの筆者の研究を基に考察を試みることにする。

(1)次の編著で紹介されている文、Christiansen, C.O.P. og Kjaer, Holger: Grundtvig, Norden og Goeteborg, Kbh. 1942, S.37.

(2)ibid..

(3)Grundtvig, N.F.S. : Nordens Mythologi, Kbh. 1932, S.174.

(4)(1)に同じ。

(5)de Vries,Jan: Altgermanische Religionsgeschichte, Bd.2 , 1970, S.396.

(6)この点については、以下の拙稿を参照されたい、「キェルケゴールの神話論」(『キェルケゴール研究』第221992年、24)

(7) Hammerich, Martin: Om Ragnarokmythen og dens Betydning i den oldnordiske Religion, Kbh.1836.

(8)Rosenberg, Carl: Nordboernes Aandsliv fra Oldtiden til vores Dage, Bd. 1-3, Kbh. 1878 - 85.

(『ユリイカ 特集*北欧神話の世界』第3912 [通巻541] 138144頁所収)